キャラクターメーカー

この文章は、『キャラクターメーカー 6つの理論とワークショップで学ぶ「つくり方」』の読書メモです。 メモなのでかなり雑に書いています。


第1講 アバター式キャラクター入門

「アバター」とは、読者が感情移入する対象であり、主人公であるとは限らない。 ハリウッドでは主人公の周辺にアバターを配置することが多い。 モノローグによって自問自答するタイプの主人公は、主人公とアバターの両方の役割を持っていることになる。

アバターは何らかの構成要素に分解でき、またその構成要素は単独では意味をなさない。 構成要素の組み合わせによって、キャラクターが構成される。 キャラクターは属性で分類されるのではなく、属性を組み合わせることによって出来上がる。

ワークショップ1

ダイスを振ったところ、7、2、7が順番に出て、「尻がバッタ」のキャラクターを考えることになった。\ バッタから連想すると、飢饉のイメージが浮かんできた。 穀物を食いつくし、後には何も残らない、恐ろしい印象がある。\ 尻にバッタの胴体がくっついているキャラクターを想像してみる。 デビルマンみたいな世界観になるのかしら? そうすると、バッタは大群で押し寄せてくる印象があるので、兵士として描くのがよさそう。 スターウォーズのドロイド兵のような感じになるのか。\ しかしそうなるとモブキャラとしてしか使えないので、別の案を考えてみる。 身体が昆虫になるというと、カフカの『変身』が思い浮かぶ。 グレゴール・ザムザは毒虫だったが、今回はバッタなので少し毛色が違う。 全身が虫になるのではなく、尻だけなので、『変身』のような物語ではなさそう。\ バッタと言えば『仮面ライダー』になるのか。 やはり変身ものなら相性がよさそうだ。

出来上がったキャラクター

普段は心優しい青年だが、ある時悪魔と融合してバッタ人間になる。 怒りを覚えると尻がバッタに変身し、気性が荒くなる(これはサバクトビバッタの性質について調べた結果だ)。 敵味方関係なく皆殺しにしてしまうため、変身した姿は市民からは恐ろしがられている。 自身の攻撃性に悩み、暴走を何とか抑えようとするが、恋人を殺めてしまった過去があり、それからは感情を殺し、誰にも期待せずに生きている。

……なんか少しデビルマンっぽくなってしまった。

第2講 トトロもエヴァンゲリオンも「ライナスの毛布」である

何らかの限定された空間、時間の中でのみ発生する「私」がキャラクターの印象を決定する。 「ある女の手紙」では、手紙の中の、さらに言文一致の文体においてのみ、妹たちの本性が垣間見える。 キャラクターと書き手は当然つながっているが、キャラクターを作る上では直接的に「私」をカミングアウトしない技術が必要。

本当の血筋がべつにあるといった「ファミリーロマンス」は、キャラクターとしての「私」を作る基礎となる。 似たものに「移行対象」があり、母/乳房の代わりとしてあらわれるもの、と言われている。 「スヌーピー」に出てくる「ライナスの毛布」としても例えられる。 トトロは両親から急に分離した際のライナスの毛布としてとらえることができる。 移行対象のキャラクターはただそこに「居る/在る」だけの存在として描かれる。

移行対象には二つタイプがある。 一つ目はキャラクターとして投影しやすい「トトロ型」、二つ目はキャラクターというよりかは純然としたモノとして描かれる「ライナスの毛布型」に分類できる。 ライナスの毛布型の物語として『姥皮』が挙げられる。 姥皮というアイテムによってキャラクターは仮の姿に変身するが、最後はそれを脱ぎ捨てて真の自分に生まれ変わる。 キャラクターの成長を促し、かつそのキャラクターを守る殻としての役割を果たす。

ワークショップ2

以下のような人物を考えた。

第3講 手塚キャラクターは何故テーマを「属性」としているか

物語はキャラクターに対して成長することを求めるが、手塚治虫のキャラクター、例えばアトムは「成長できない身体」を与えられる。 しかし、アトムは生みの親から「成長する身体」を求められ、失望されたアトムは捨てられることになる。 「成長する身体」と「成長できない身体」の矛盾を手塚はアトムというキャラクターに与えている。 キャラクターとしての本質を属性として付与する手法を、大塚は「アトムの命題」と呼んでいる。

ワークショップ3

属性1と属性2の具体化として以下のようなキャラクターを考えた。

近未来、事故に遭った少女は気づいたらサイボーグとなっていた。 少女は、巨大な機械の左手を武器に、自らをサイボーグの身体にした張本人を探し求める。 普通に暮らしたい少女に対して、その左手はあまりに暴力的な見た目をしている。 また、その左手を行使してときには人を殺めなければならず、そのことに苦悩する。 ここに、身体の矛盾が発生する。

第4講 雨宮一彦の左目にバーコードがあるのは何故か

キャラクターは何かの「欠如」か「過剰」があると物語を始めやすい。 この「欠如」か「過剰」を「均衡」に持っていくのが定番。

また物語では「均衡」と「不均衡」が対立することが必要である。 しばしば「正義」と「悪」のような対立として描かれる。

「欠如」や「過剰」はある意味で「聖痕」「標」である。 それが疎まれる原因となることもあれば、「私」を証明する目印にもなる。

ワークショップ4

ダイスをふったところ、以下の特徴が出た。

上記をふまえて以下のキャラクターを考えた。

主人公は首に小さな札が貼られている。 首の札は両親が所属する新興宗教団体が、幼少期の主人公に貼ったものである。 普段は札をカモフラージュするために奇抜な服装をしている。 本人は札のことを快く思っていないが、以前札を剝がした際に友人が亡くなるという事件が起こっており、札をはがすことに対して恐怖心も持ち合わせている。

第5講 自分からは何もしない主人公を冒険に旅立たせるためのいくつかの方法

プロップによると、主人公は基本的には受け身の存在である。 しかし物語では、主人公は「受け身」であるが「自分探し」をしなければならない。 主人公は「探索者型」と「被害者型」に分けられる。 探索者型は、主人公の所有物などが奪われることや、探し物を頼まれるなどがあり、それを取り戻す、または探すために行動する。 被害者型は、主人公自体が追い出されたり、追われる立場に追いやられる。 どちらにしてもきっかけは受動的である。

「出立」「イニシエーション」「帰還」から物語は成り立っており、「出立」は以下の5つから成り立っている。

「鯨の胎内」は、象徴的な死をイメージする。 「召命の辞退」は、主人公が今居る環境から抜け出す不安と、このまま「今」でいたいという気持ちの表れである。

ワークショップ5

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第6講 影との戦い

「敵対者」は主人公と反対の方向に自己実現をした「影」であることがある。 影はしばしば主人公によって救済され、主人公の自己実現になる。

ワークショップ6

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本の感想

物語論から使えるものをピックアップしてきて提示してくれているありがたい本だと思った。 第3講で取り扱った身体の矛盾という部分がまだよく理解できていない。 「身体」とは言ってるけど、別に身体のことでなくてもいいのではないのか。 なんらかの矛盾がキャラクター内に存在すれば、それは第6講の「影」ともつながってくる話だと感じた。 物語を作る上で難しそうなのは影との和解であり、ここでオリジナリティとか面白さとかが生まれるのかなと思った。 ただ、この本に書かれている全部を守って物語を作る必要はないのかなと感じる。 必要になったり、何かしっくりこないと感じたり、一度キャラクターを俯瞰してみたりする際に読み直すといいのかもしれない。

TODOになっているワークショップはいつかやる。