世間知らず

ずっと部屋にこもっていると、世間で起きている出来事に疎くなります。 疎くなるというか、かなりどうでもよくなる感じです。 Twitterもトレンド機能を実質オフにしている(トレンドの国名をウガンダにしている)ので、自発的に調べない限りは世間の動きが入ってきません。 しかし社会で起きていることは大抵つらいことなので、自分みたいに自分のことで精いっぱいな人はこのほうが心が落ち着きます。 例えば、芸人の宮迫という人が詐欺みたいなのに引っかかって焼肉屋を経営していることを、つい最近知りました。 宮迫という芸人は昔は下の名前まで憶えていたのですが、今は忘れてしまいました。 確か相方がいたと思うのですが、どんな人だったっけ。 あとは、トンガの火山が噴火したことも相当遅れて、津波警報で初めて知りました。

世間の出来事に対して精力的にコメントを飛ばしている人を見ると、そのスタミナに驚きます。 自分はとてもそんな気力はないので、ある意味でうらやましいです。 それに、短文で自分の意見を表明するのって、かなり難しいと思います。 自分のどうでもいいつぶやきでも、文の書き方によっては誤解されることがあります。 また、対立する意見を持っている人が、自分の意見を悪いように曲解して(ギリギリ言い逃れができる範囲で)翻訳し、それを拡散される恐れもあると思います。 そう思うと恐ろしくてコメントを飛ばすことなんかは出来なくなります。

でも一番大きいのは、ある事件に対して自分の考えを構築することが面倒なことです。 「君はこの出来事に対してどう思うんだい?」 自分には教養も頭の良さもないし、自分の頭で考えるといった大変立派なことは習慣として構築してこなかったので、こういう目線を向けられると大変つらいです。 自分の意志を持って行動することなんて、ご飯のことくらいしかありません。 あとはほとんどが他人に流されたりとか、やらなくてはいけない義務から仕方なくとか、といった感じです。 というか自分とは遠い場所に対して、あまり興味が湧かないのがあるんだと思います。 自発的に旅行に行ったことはあまりないし、やる気も出ません。 海外旅行なんてもってのほかです。 インターネットは確かに便利ですが、自分と遠い場所のことが毎日流れてきます。 物理的にも、精神的にもです。 興味がないことを見せられるのは心が削られていきます。 インターネットと自分は、実は相性があまりよくないのかもしれません。

でも自分の考えは持たないとな、とも思っています。 何事も自分の指針を持たないと、芸人の宮迫さんみたいにどこかで損したり、騙されたりすることもあります。 世の中には色々なサービスがありますが、あれはある意味お金を払って考えることを押し付けているのだと思います。 しかし、生きていると考えることがたくさんあります。 その全部を自分で考えて判断しているととても時間が足りないので、様々なサービスにお金で思考を委託することはなにもおかしなことではありませんし、悪いことでもないと思います。 しかし、自分はお金を持っていないので、自分で考える必要があります。 でも自分で物事を考えるのは、とにかく面倒で、気力が必要です。

人生において、うまく生きるためには結局は気力が必要なんだと思います。 とにかく動いたり、考えたりすることが重要で、そのためには気力が要ります。 無気力人間には生きるのは難しいのかもしれません。