20220209
久しぶりに文章を書きたいなと思ったので、こうやって文章を書いています。
今日は感傷マゾという概念について知る機会がありました。 どうも、存在しなかった理想の青春を思い浮かべ、自分の青春と比較し、自己嫌悪に陥る、それが気持ちよくて求めてしまうのが、感傷マゾということらしいです。
感傷マゾに対しては、そういう性癖もあるんだなあという感じなんですが、自分にとっての存在しなかった理想の青春ってなんだろうと思いました。 例としては、
「夏休みは田舎の祖母の家で一か月過ごして隣の家に住む麦わら帽子黒髪ロングの白ワンピース少女と仲良くなる」
「浴衣姿の女の子と夏祭りや花火大会に行く」
などがあるらしいです。 自分にはあんまりこれっていうものが思い浮かびません。 田舎の白ワンピースはちょっとフィクションっぽすぎるし、浴衣姿の女の子と夏祭りや花火大会もあんまりリアリティがありません。 存在しなかった青春の舞台は田舎かもしれないし都会かもしれないし、相手はお姉さんかもしれないし年下かもしれないし、ふわっとしています。
いや、リアリティがないからこそ、リアリティのある現実として手に入れたいと希求するのが感傷マゾなのかな。
自分に感傷マゾ概念がなかったのは、もう青春に対してあまり欲求がないからなのかもしれません。 そろそろ恋人とか思い出とか、作るのには興味がなくなってきたというのもあります。 高校生の時は遊んでいた同級生とかをうらやましいなあと思っていましたが、今ではうらやましさというよりかは気を使わなければいけなそうという、めんどくささの方が大きいです。
それに、恋人を作っても大事にできる気もしないし、きっと疲れてしまうかなあとボーっと考えてしまいます。 興味はもしかしたらあるのかもしれませんが、疲れてしまいそうという方が大きいです。 根本的に気力がないのが悪そうです。 人生にエネルギーが足りないのかなあ。
感傷マゾになるのにもエネルギーが要るということがわかりました。