20231227

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久しぶりに書く気持ちになったので、エディターを開いて文字を打ち始めている。

2023年の暮れだというのに風邪を引いてしまい、鼻をズルズルとさせながらずっと寝ていると、体勢のせいなのか腰が痛くなってくる。 ここ二週間くらいは仕事でもプライベートでも忙しかったから仕方ない。 忙しさが過ぎて緊張が切れたら鼻の粘膜を痛めてしまい、蓄膿気味になって頭が重い。 鼻が詰まっていると言葉も頭の中に詰まっていくみたいで、どこかに吐き出したくなる。

昼間は具合が悪くて寝ていたため眠気が来ない、のでここ一年の振り返りでもしてみようかと思う、年末だし。

今年の初めはまだ前職で忙しかったと覚えている。 もう転職は決まっていて、あとの仕事をどうケリをつけるか、それを主に考えていた気がする。 新年一つ目の仕事については、最後に成果を上げて去りたいと思っていたけど、結局成果が出ず、残念な感じになってしまった。 退職直前にやった二つ目の仕事については、本当にモチベーションが低かったので適当にやっていたら偉い人からちょっと怒られた。

その頃のプライベートはほとんど覚えていない、一つ目の仕事をやっていたときはずっと出社続きだったし、帰宅しても寝るだけだったので。 それでも次の職場が楽しみだったので特に苦しかった思い出はなかった。

4月から新しい職場で働き始めた。 仕事もやりたいことにアサインしてもらって良かったんだけど、家と職場が遠かったのもあって、ほぼリモートでのスタートだった。 これが良くなかった。

とあるソフトウェアに対して、それなりに大きな機能追加を任されたのだが、そのソフトウェアに対して土地勘がほぼなかったため、勝手を理解するのに苦労した。 またその機能追加は別のライブラリを組み込む形で行われるのだが、社内で使ったことがないライブラリだったため、誰かに聞くといったことがあまりできなかった。 リモートだったので、社内の雰囲気や、同僚の方々の人となりが画面越しだとわからなかったので、うまくコミュニケーションをとることができなかったのだ。 いや今思えば職場の同僚の方々は自分なんかよりはるかに強者なので、何かアドバイスを貰えばよかったのだが、人数の多くない会社だし、ひっきりなしに質問するのもはばかられたので、救援要請が出せなかった。 なんとなく仕事を進めたり、進まなかったりして、気づいたら夏になっていた。

夏はよくドライブに行った。 彩度の高い空とか山とか、そういうのが車窓の前から後ろに流れていくのを見て、目を休めた。 エアコンが効いた車内で休憩するのも気持ちが良かった。 北関東の色んな場所に行った、主に道の駅だったけど。 仕事はあまりうまくいっておらず、とうとう精神がまたおかしくなり、こりゃアカンと医者から言われたので休職することにした。 自分に対する無力感があり、もうこの仕事は続けられないんじゃないのかとも思って、転職も視野に入れた。 インターネットで見かけた人が酪農をやっていたので、酪農いいんじゃないかと思って北海道の牧場に電話した。 どこかに消えていきたくて一人でドライブにも行った。 とにかく走っていたらいわゆる酷道にぶつかって大変な目にもあった。 オーディオで大きな音を流しつつ、下道を走りまくって、頭を空っぽにしたかった。

そういえば、夏の間にジブリの映画も観た。 君たちはどう生きるか。 頭がパキパキで感受性がオーバーフローしていたので、宮崎駿の極彩色を頭にモロに受けてしまって、劇場に観に行ったあとの一週間くらいはずっとこの映画を考えていた。 音響と絵の緩急で、とにかく宮崎駿が見せたいものを魅せる映画だったと思う。

周りには休職していることも、頭の調子がおかしいことも秘密にしていた。 ある日パソコンの友人と飯を食いに行って、その友人がワイワイとパソコンをやっている話を聞いた。 自分のことについては何も言っていなかったので、その友人は自分がまだパソコンで働いていると思っていたのだ。 ワイワイとした話を聞いて、まだパソコンをやりたい、となんとなく思ったので、家に帰って北海道の牧場に断りのメッセージを送信した。 そうこうしているうちに回復し、金もなくなったので復職した。

秋に復職してからは、家と職場の間は遠かったが、週2回は出社するようにした。 そして、なるべくチャットで何でも聞くようにしたし、同僚の方々がする発言やコメントになるべく返答やリアクションをするようにした。 そうしたら同僚の人となりがわかってきて、安心感が生まれるようになった。 仕事も細々としたものを片付けることから始まって、周りの助けを借りながら、それなりのものをこなせたと思う。 仕事がこなせると、焦燥感みたいなものが無くなって心が穏やかになっていった。

12月に入ってから、趣味でフィルムカメラを始めた。 フィルムカメラ大好きな友人がいたので、その友人におすすめのカメラを聞いて、オークションで1万円で買った。 OLYMPUS 35-SPというカメラだ。 いや、このカメラを買ったのは夏だったのだが、買ってそのまま放置していたのを12月に使い始めた、というわけです。

フィルムカメラというのはご存じの通り24枚とか36枚とか撮れるフィルムを入れて、巻き上げ、シャッターを切ると、24枚とか36枚とかのフィルムのうち1枚を消費して、目の前の風景や人物を切り取ることができる。 またシャッターを切る際に、シャッタースピード、絞り、撮影距離を調整できる。 この変数の数がうまいこと設計されていて、ギリギリ人間が扱える要素になっていると思う。 フィルムの感度というのもあり、感度によって違った風味の写真が撮れるらしいが、自分はISO 400のフィルムしか使ったことがないからわからない。 夏になったらISO 100のフィルムも使ってみようかと思う。 フィルムカメラは写真を撮ることに集中できるところが良い。 自分は基本マニュアル撮影で写真を撮っているので、シャッタースピード、絞り、撮影距離をそれなりに考えて設定しないと、すぐにピンボケしたり、暗かったり白飛びしたりする。 シャッタースピードが長い時は、ちゃんと構えていないとブレた写真が写ってしまう。 これらのことを考えつつ撮影するので、設定して、シャッターを切るまで、写真のことしか考えなくなる。

また、フィルムカメラはその場で写真の確認ができないため、一旦おあずけを食らうわけだ。 そのおあずけがまた楽しい。 カメラ屋に持って行って、現像を頼んで上がってくるまでの1時間が待ち遠しい。 ここが一番フィルムカメラで楽しい時間かもしれない。 写真が上がってきたら出来栄えを確認する。 ブレてしまったのはしょうがない、脇を締めて撮ろうとしよう。 狙ったところにピントがあって、外をボカした写真なんかが取れているとこれは嬉しい。 ボケ過ぎたり、暗かったり白飛びした写真はなんとなく設定を思い出して、次に活かせるかもしれないし、活かせないかもしれない。

話は変わるが、同じことを飽きずにこなすこと、ゆっくりとした変化を楽しむこと、これが生活をうまくやる秘訣なのではないかと、最近は考えている。 物事を習得する時、動作や原理を理解したあと、身体や頭にしみこませる必要がある。 つまり無意識にできるようになるまでの、素振りが必要なフェーズがある。 しかし、素振りは飽きやすいし、同じことの繰り返しはしんどい。 これをなんとか楽しくやっていきたい。 そのためには、じわじわと来るゆっくりとした変化を楽しむ必要がある。 しかし、ゆっくりとした変化は実感がわきづらい。 それを乗り越えるためには、記録が必要だと思った。 素振りをして、記録をして、見返す。 これを毎日見返せば、毎日の積み重ねが見えて少しは楽しくなるかもしれない。 最近やっと家計簿をつけ始めた。 正確さはあまり重要視せず、つけたことが重要。 今は面倒でしていないが、データの可視化もしていければと思っている。

ここまで書いて面倒になった。 まあ1年の振り返りはできたし良いか。 相変わらず話があっちに飛んだりこっちに戻ったりしているが、記録することが大事だからね。 今決めたんですが、来年はめんどくさがらず、とにかく記録していきたいと思います。 そうすれば遠くに行ける気がする。

最後に、年明けに引っ越します。 引っ越し前に風邪ひいてどうすんねんというのがありますが、なんとか治します。 荷物は、これから泣きながら詰めます。 新天地に行ってもよろしくお願いします。

良いお年を。