2024年振り返りみたいな新潟の山奥での雑記
外ではみぞれ混じりの雨が、窓を叩きつけている。
時々、ドドーンと地を鳴らすような音が、建物を揺らす。 これは屋根の雪が滑り落ちる時の音だ、雨で重くなった雪は、人を殺せそうなくらいの重量を持つ。 それ以外は、石油ストーブが稼働する音、トラックが表の道路を走ってくる音(この建物は、村の幹線道路沿いにあるのだ)、あとは一日に6回くらいしか聞く機会がない、只見線が通る音、くらいだ。 階段を降りる手前の窓からは、スキー場が見える。 山頂の手前は、雲で見えなくなっている。 バブル時代は大変賑わったそうで、この建物もスキー客で足の踏み場もなかったそうだ。
この建物は民宿で、二階には7つも部屋がある。 7つの部屋はそれぞれ八畳くらいあり、一畳に一人寝かせていたらしい、それでも文句は出なかったそうだから、バブルというものはすごい熱狂だったんだと思わせる。 そんなこの民宿も、バブルも過ぎ去って40年経った今では、雪が滑り落ちる音だったり、石油ストーブが稼働する音だったりを楽しめるくらい、静かで落ち着いている。
今、新潟の山奥にある、祖母の家に帰省している。 物心ついたときから、年末年始はたいてい、この新潟の祖母の家で過ごすようになっている。 祖母は今年で85歳になる。 今は亡き祖父と結婚して新潟の山奥から新潟の山奥に越してきて、そこから家業の民宿業を営みつつ、長女、長男、次女の3人を大学まで行かせて育て上げた、豪傑と言ってもいい人物だ。 今ではすっかり身長も縮んで小学生みたいな身長だが、認知症にもならず、毎日民宿の階段を上り下りして掃除を行い、今日の献立は何にしようと頭をひねりながら日々を過ごす、生活の人だ。
一方自分はというと、今年は生活がうまくできなかったかもしれない。 年初に東京に引っ越してきてから、東京の消費社会的な雰囲気にアテられて、どうもインスタントなものばかりに手を出しているような気がする。 あまり一つのことを深く探求するみたいなことができず、何かやっていたと思うけど、特に実りのない一年になってしまった。
東京にはモノがあふれていて、それらを買ったり味わったりしていると、何か文化的なことをやった気にするが、実は違っていて、お金と時間以上に、刺激がインスタントで強すぎて、感受性が失われている気がする。
それに忙しさが加わると最悪だ。 特に何も出来ない焦りやストレスから、インスタントな強い刺激を、お金と時間で買って消費する。 そうすると、自分の身の回りの小さなことへ対する、感じたこととか喜びとかを、大雑把に塗りつぶして上書きしてしまう。 文化というのは、絵画を鑑賞したり音楽を聞いたりなどではなく、身の回りの小さなことに対してどれだけ豊かに感想を述べられるか、ということだと、自分では思っている。 今年は、雑に生活しすぎた。 来年はちゃんと生活をして、身の回りの小さなことに対して、もっと真摯に向き合っていきたい。
この文章を書いている途中に、いつの間にか雨が雪に変わっていた。 通りで静かになったわけだ。 窓を開けると、雪が部屋の中に滑り込んでくる。 大雪だ。 寒いから閉めて、こたつにでも入って暖まろう。
みなさんよいお年を。