食卓の記憶

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SNSでフォローしている人が、その人の親族が持っている(おそらくその人に語ったのだろう)最古の記憶を書き連ねていた。 何でも、「おめざ」と呼ばれるお菓子の記憶が、その人の親族が持つ最古の記憶らしい。 その投稿で、自分も最古の記憶を思い出してみたが、3歳か4歳か、自宅の布団の上で、漫画を読んでいた。 それ以前は覚えていない。 コロコロコミックが大好きで、でんじゃらすじーさんを好んで読んでいた気がする。 それでひらがなも、簡単な漢字も覚えた。 良い教育になったと思う。


漫画の話は思い出深いが、幼少期の記憶でもう一つ思い出深いものというと(こちらが今回の本題)、朝起こされ、テーブルの前に座って、寝ぼけながら食べた、鮭茶漬けの味だった。 鮭茶漬けは、本当に鮭茶漬けで、つまり、鮭の切り身をほぐしてご飯の上に載せ、急須から温かい緑茶をかけていただく、お茶漬けの素とかではない、正真正銘の鮭茶漬けだ。 辛口の鮭から染み出す塩味がちょうど良く、緑茶の渋みで米の甘さが際立ち、朝の寝ぼけた胃に優しく染み渡った。 この経験があり、鮭茶漬けは、自分の中では一番ぜいたくな食べ物になった。 死ぬ前に食べたい物は、絶対に、本物の鮭茶漬けだと決めている。

朝ご飯の記憶は鮭茶漬けが印象深いが、それ以外にも、全体的に温かいイメージがある。 実家は何度か引っ越しを重ねているが、自分が住んでいた頃は、どの家も台所とリビングが物理的に連続しており、台所で料理をすると、その温かさや匂い、料理の音が、リビングにいる自分たち(自分には年の近い妹がいて、幼少期は一緒に叩き起こされていた)にまで伝わってきていた。 鮭をグリルで焼く音、味噌汁の匂い、湯気が立って、窓には水滴が垂れる。 山梨の冬は朝は寒く乾燥しているが、リビングの中はボワッとしていて、とても温かった。 この温かい食卓の記憶は、おそらく生涯忘れることはないと思う。

ちょっと恥ずかしいことを書くが、食事を作って振る舞い、それを食べるということは、愛の形の一つなんじゃないか、と、最近は思っている。 自分は、自分一人のために、食事を二品も三品もこしらえるなんてことはできない。 コンビニで買ってくるか、作れても一品までだ。 でも、大学時代シェアハウスに住んでいた頃は、ルームメイトのために、二品や三品くらいは簡単に作っていた。 一緒に食べて割ればお得になるということもあったが、やっぱり、ルームメイトに喜んでもらいたい、という気持ちが一番あった。 おいしいと言ってもらえたら、すごく嬉しかった。 逆に、ルームメイトから料理を振る舞われたら、ありがとうと思ったし、ちょっとくらい苦手な料理が出ても、振る舞ってくれた事自体が嬉しかった。 たぶん、こういった愛を幼少期は無意識で感じていたんだろうと思う。 だから自分の中でも、食事に苦手意識を持つこともなかったし、今でも食卓の風景が思い出せるんだと思っている。 母は当時どう思っていたんだろうか、自分たちに毎日朝ご飯を作って、少しでも嬉しさを感じていたんだろうか。 もっと美味しいと言っておけばよかったなあ、でも鮭茶漬けに美味しいと言っても、母からしたらあまり嬉しくないかもしれない。 味噌汁とか玉子焼きとか、そういうやつを美味しいと言っておけばよかったかな。

こういうことって、ストレートに聞けば教えてくれるんだろうけど、恥ずかしくて聞けないよね。